2010年09月29日

尖閣事件に対するロシア人の反応+“中華愛国烈士”がロシアの掲示板にも降臨している件(1)

9月29日20時52分配信 - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ)  

日中間で未だ“尖閣問題”が燻り続ける中、9月26日から三日間の予定で、メドヴェーヂェフが中国を訪問しました。この件に関して、日本のメディアは、中露関係の磐石さを盛んに強調しています。というか、ほとんどロシアが中国の尖閣領有を全力で支持しているかのような勢いですね。 ちなみに、 産経はこんな↓感じで、 ------------------------------------------- 「対日歴史認識で連携強化 中露首脳会談」  http://sankei.jp.msn.com/world/ch... [ 記事全文 ]

2010年09月22日

「対日戦勝記念日」制定に対するロシア人の反応(11)

9月22日23時33分配信 - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ)  

→(10)からの続きそしてもう一つは、“第二次世界大戦終結の日”という名称それ自体が気に食わない "というものでした。といっても、サハリン(樺太)州やあちらの右派みたいに“対日戦勝記念日”とすべきだと主張しているかというと、さにあらず。ロシア人にとっての第二次大戦の終りは、あくまで“独ソ戦=大祖国戦争”が終結した5月9日であるべきだというのです。 戦後65年間に渡って、ロシアでは5月9日は通称“ヂェーニ・パベーディ(День победы=勝利の日)”として、国家の肝いりで大々的に祝われてきまし... [ 記事全文 ]

「対日戦勝記念日」制定に対するロシア人の反応(10)

9月22日0時47分配信 - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ)  

→(9)からの続きそれはともかく、とりあえず、件の“Mail.ru”の掲示板で“9月2日以降”に立った対日戦勝記念日関係のスレを一通り検索した限りでは、 一応、こういう↓風に、殊勝に対日戦勝記念日を祝い、戦没者の霊を追悼しようというものがあるにはあるのですが、 -------------------------------------------------------------------------- <教えて!ナロード>「今日(=2010/9/2)は戦争が終わった日。1941−1945年... [ 記事全文 ]

2010年09月20日

「対日戦勝記念日」制定に対するロシア人の反応(9)

9月20日22時15分配信 - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ)  

→(8)からの続き さて、法制化後初の“対日戦勝記念日”は、実際にはどういう感じだったのでしょうか? --------------------------------------------------------------------------ロシア:極東各地で「対日戦勝利」65周年行事 http://mainichi.jp/select/world/news/20100903k0000m030038000c.html  (前略) ロシアでは、日本が連合国への降伏文書に調印した45年9月2... [ 記事全文 ]

2010年09月10日

モンゴル版ネオナチに対するブリヤート人の反応(4) 

9月10日1時05分配信 - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ)  

→(3)からの続き 論評アラド@ウランバートル?(♂)フフ・モンゴル(=“蒼きモンゴル”の意。主要な民族主義団体の一つ。団体は他にも色々あり。)のモットーは以下の通り。 1.モンゴルの独立 2.国境線の護持 3.モンゴル民族の遺伝子バンクの保全 4.モンゴル系諸民族の統一 5.モンゴル人が己が土地の主たること 6.自然環境の保護 7.経済的な独立 8.シャーマニズムの護持 9.伝統文化の護持 10.祖国を愛すること ↓別の運動体、ダヤル・モンゴル(全モンゴル)によるデモ 鉤十字あるいは... [ 記事全文 ]

2010年09月09日

モンゴル版ネオナチに対するブリヤート人の反応(3) 

9月09日23時47分配信 - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ)  

→(2)からの続き 論評アラド@ウランバートル(♂) >論評アラド@ニューヨーク、ブルックリン>>ボリヤド(ブリヤート)・モンゴル人だって、漢人と戦いつつ、ロシアに>>向かって北上したんだ。 >何でまたロシアに?むしろ、ロシアがこっちに攻めて来たんだろ。それと、>あなたの話題の中心になっているのは、ナチではなく(モンゴル・)ナショ>ナリストだと思うんだけど。ボリヤド(ブリヤート)・モンゴルが北上したんだと思ってた。もちろん、あんたが正しい。ロシアの... [ 記事全文 ]

2010年09月05日

モンゴル版ネオナチに対するブリヤート人の反応(2)

9月05日2時39分配信 - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ)  

 →(1)からの続きでも、モンゴル人の側の最大の不安要因は、やはり清朝時代から続いてきた、中国本土での人口膨張とそれに伴うモンゴル高原への漢人農民の北上という、歴史的な趨勢ではないでしょうか。 北アジアに限らず、遊牧生活は馬や羊等の放牧に広大な牧地を必要とするため、遊牧地帯の人口密度は元より低いわけです。そうした土地に外部から定住農民が入植した場合、遊牧民の側は生活に必要な牧地を失うだけでなく、数の上でも少数派になってしまいます。そして、牧地が足りない以上、彼らも定住を余儀なくされがち... [ 記事全文 ]

2010年09月03日

モンゴル版ネオナチに対するブリヤート人の反応(1)

9月03日15時30分配信 - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ)  

前にバルナウール韓国人留学生惨殺事件についてのエントリーでも触れたように、最近のロシアでは、モスクワから遠く離れたシベリアの地方都市にすらネオナチ組織が存在し、非白人的な容貌の持ち主はロシア国民であろうが外国人であろうが関係なく、しばしば襲撃の犠牲となっています。 その中でも、モンゴル人や、ロシア国内の少数民族であるブリヤート人やカルムイク人といったモンゴル系の民族は、文字通りの“モンゴロイド”風の見てくれで目立ちやすいためか、漢人や中央アジアの諸民族と並んで標的になりやすいようで...。例えば... [ 記事全文 ]

2010年08月15日

「対日戦勝記念日」制定に対するロシア人の反応(8)

8月15日23時51分配信 - 歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ)  

→(7)からの続き ところで、上述の訳したスレで出てきた“張鼓峰事件”については、 この↓サイトが詳しいですが、 満ソ国境紛争1/乾岔子島事件、張鼓峰事件等 概説2 http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/kindai/kindai-kokkyo12.html要するに、当時の満洲国とソ連の国境付近に帰属のはっきりしない丘があり、そこが戦略的に重要な場所であったためにソ連が陣地を作ろうとして、日本軍と取り合いになったという話です。数的にも優勢で、戦車と航空兵力を有する... [ 記事全文 ]